ロバの耳

余計な一言を気兼ねなく言ってみたい、毒を吐き出すブログ

孤独

孤独というのは一人だからではない。見知らぬ大勢の人の中にいるときは、それは淋しくはあっても孤独ではない。家族の中で孤立すること、一人であることが一番孤独なのかも知れない。

息子の方の孫の運動会に行ってきた。4年生と2年生だ。下にあと2人。今時珍しい6人家族である。

近くに住む子供のいない末娘夫婦と誘い合って行ってきた。

傍目には大勢で何かと集まり羨ましいだろう。しかし、お嫁さんは大きな重箱をこしらえてきていても決してお昼に誘ってくれたりしない。そういう実家なのかも知れない。まあ、それはそれで良いのだが最初は傷ついた。娘夫婦抜きで一人で行っても、ママ友たちと用意してきたお菓子の交換をしていても、ひとつどう、などという言葉を掛けられたことはない。

私は近くに誰かいるのに自分たちだけでお菓子を配るのは嫌だ。一人で混じる人にも居心地の悪い思いをさせたくないから必ず声を掛ける。息子もそうだったはずなのだが、私にもお菓子を、などとお嫁さんに声を掛けることはしない。ため息をかみつぶす。食べたくなくても声を掛けてくれないことが辛い。慣れていない。現代では慣れなくてはならないことなのだろう。

そして、末娘は子供がいない分、長い付き合いなのに仲が良い。仲が良いのはとても嬉しい。しかし、この子も、結婚して数年してから辛く当たるようになった。いや、本人はそんな気はないのだろうが、常にダンナを気遣っていて、絶えず、私に当たる。気を利かせて、静かに、黙って、余計な動きはしないで…。私が私でいることが気に入らない。それなら誘わなければ良いのに板挟みなんだろうなあ…。

離婚し、幼かった子供3人を育て上げた。みんな感謝してくれている。認めてもくれている。しかし、私が私の意見を言うことを嫌う。多分、フリーランスとして長年働き、みんなが言うことが正しいとは思わない、日本人のお婆ちゃんらしくなく、自分の意見を持ちすぎている私が煙たいし、恐らく、一般的な日本の母親のように、専業主婦として生きてきた控えめな人ではないことが恥ずかしいのだ。

運動会の後、娘夫婦と3人で帰りかけたとき、娘が涼しいところでお弁当を買って食べるからと突然、別行動になった。3人で出かけるときは食事時にはいつも一緒だったが、二人になりたかったのだろう。悪いけど二人で食べたいからと一言あれば、あらそう、と、からかうかも知れないが笑って済むものを切り口上で告げた。

ああ、私は買い物をするからと別方向へ向かった。勿論、一緒に食べると思っていたし、悲しかったがまあ仕方ない。そこへ娘が再びやってきた。ダンナに言われたのだろう、一緒に来るかと聞いてきた。今更行きたいと言えるはずがないじゃないか。来ないでと顔に書いてあるよ、お馬鹿と笑って別れたが、しみじみ孤独だった。

群れる動物の人間が一人で生きていくのは、常に一人でいるしかないことを確認するのは、慣れてはいてもやっぱり辛いものだ。