ロバの耳

余計な一言を気兼ねなく言ってみたい、毒を吐き出すブログ

才能

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先日、当日でもないのにふらふらと何を考えていたのやら行ってしまったコンサートホールに再び出かけて行った。娘が心配して、朝、今日が本番だよとわざわざメールをくれた。甲斐あってw、今回は時間通り、ちゃんと目的地に到着。

友人が仲間たちと500人ほど収容のかなり大きな大学ホールを借り切ってのコンサートなのだ。それぞれがロングドレスをまとい、おまけに途中で着替える。イヤリングやネックレスがぴかぴか光る。豪勢だ。歌のレッスンに熱心に行きだしてから、恐らく軽く10年は経っているはずだ。

友人の歌は聴いてあげたい。でも実は細かなことが気になるのが私の悪い癖。こういう人間は行かない方が良いのだが、40年近い付き合いの大事な友人なので行かないという選択肢はない。


皆さんすっかり人気歌手になりきって舞台狭しと歩きながら両手を広げポーズを取り気持ちよさそうに歌う。スポットライトを浴び、バックの生バンドに合わせ歌う。幸せそう。道楽だと割り切れば最高だ。

しかし、何年歌っていてもプロとは大きな隔たりがある。まさかプロ並みの水準に達しているとは誰1人思ってはいないだろうと思いたいが、そうでもないようだ。みんなとても上手なのよと友人は言うが本気なのだろうか。耳が悪いのではと疑ってしまう。まあ大きなお世話だから友人には絶対に言わない。

しかし、例えばピアノなら10年以上の年月を毎週2回も個人教授でレッスンを受け、家でも毎日練習していたらどれくらい上手になるだろうと考えずにいられない。歌はそうはいかない。声が悪かったり、音感が悪かったり、残念ながら努力が必ずしも成果に結びつくとは限らない。

外からは究極の自己満足にみえるのだが、毎年ドレスを数着購入し、ホールを借り、チラシを刷り、観客を募り…多大な費用と時間と労力をかけて自己実現に向かうエネルギーって凄い。恐らく本気で自分たちの歌をずっと聞いていたいと思う人たちが大勢いると思っている真面目な人たちなのだ。

自分の才能に疑いをもたないなんて、なんて幸せな人たちと思ってしまう。その自信の一部でも分けて欲しい、友人ならその費用の一部をどこかに寄付して欲しいともちらりと思う。私って、意地悪なのかも。

翌日、友人から電話が来た。間違った日に行ったりしたから当日は来なかったかもと心配だったらしい。今回のコンサートについて、これまでは到達感があったのに、ようやく終わったとホッする気持ちしかなかったという。エネルギーを出し切ったのね。

もうそろそろ卒業したらと言いたいがもしかしてすべてに恵まれているように見える彼女だが満たされない何かがあるのだろうか。また余計なことが頭をよぎる。自分の頭の上の蠅も追えないでいるのに何を言うやらチャンチャラおかしいお節介な私なのだ。