ロバの耳

余計な一言を気兼ねなく言ってみたい、毒を吐き出すブログ

簡単には許せない

不愉快な電話がかかってきた。

昔、仕事で世話になった翻訳会社の社長。

久しぶりでその当時の仲間たちで会いたい、出てこいという。

仲間たちというが、以前ずいぶん仲良くしていたが、苦い思いしか残ってない。

自分で言うのも何だが、仲間の中で一番稼いでいたと思う。レートも良いところからの注文が集中していた。で、その社長の会社からの仕事はレートが低いので、初めの頃を除き、ほぼ受けていなかった。

女性たちとはほぼ毎日、長電話をするまでとなり、そのうち、ここ分からないという電話もよくかかってくるようになり、かなりの時間を割いて手助けすることも増えていった。

彼女たちには皆、大会社に勤めるダンナがいて、暮らしに困るような状況ではないにもかかわらず、なぜかお金、いやお金が象徴する自己満足が欲しかったのか、私が手助けするのを当然視していたようだ。

レートの高い仕事の口がかかる私を羨んだのか、受注先を聞き出し、勝手に私の名前を使い仕事を受ける人がいた。また編集者の推薦である大きな企画に参加することになったが、別の会社からも私にそのトライアルを受けて欲しいと要請があった。すでに決まっていたので受けなかったが、その仕事をやりたいという女性に編集者を紹介し、別の会社(私の名前を無断で使って仕事を受注するようになっていたが後に切られたらしい)では内緒にするようにと告げたのに、その人は両方のトライアルを受け、落ち、おまけに私から紹介されて両方受けたと会社に告げ、その会社から私は追放され、年間約300万の収入を失った。彼女は、だって仕事が欲しかったんだものとあっけらかんとしていた。呆れはしたが、お人好しにもその後も付き合いを続けた、再び、あまりに自分勝手な行動に我慢の限界が来て付き合いを断った。

引っ越しの際には手伝いにも来てくれた別の女性も、やりたいと言っていた分野の内部での募集がかかったとき、スタッフに話を付け、推薦して彼女がトライアルを受けられるようにしたのだが、その会社と私が誤解から揉めたとき、冒頭の社長にすぐさま電話して、今ならクレームを受けて暇になってるから仕事を受けるよと話し、その揉めた会社にも介入し、結局、そこも私は辞める羽目に陥った。

さらにもう一人、仕事を世話した女性も、その翻訳会社で知り合った人なのだが、所属していた外資私がパートとして雇ったのが運の尽き、彼女は豪語する割には仕事ができず、ボスが首にしたのだが、私を恨んで引っかき回し、こちらが転職する羽目になった。

こんな連中との会食などまっぴらごめんだ。だが社長は、もういい年なんだから大人になれ、出てこいという。

いい年になり、これからの時間が限られているのに大事な時間と資金をそんな不愉快なことに回せる道理はない。

フリーランスで働くうちに次々と友人と信じていた人たちに裏切られ、誰ともつながることをやめ、黙々と働いてきた。孤独な晩年なのかも知れないが、家族と数少ない友人がいてくれれば私は満足だ。

加害者

大阪で大きな地震が起きた。

またしてもブロック塀が倒れて複数の死者が出た。

ブロック塀の所有者は一体何を考えているのだろう。

阪神、大阪一帯は阪神淡路大震災で甚大な被害を被り、当然、ブロック塀の恐ろしさは熟知しているはずだ。

一旦、大きな地震が生じれば危ないと知りつつ放置するのは、加害者となると分かっていながら放置していたことと同じことだ。

何度もブロック塀の危険は指摘されているのだから、それでも放置していて被害者が出た場合は、刑事罰を与えても良いのではないかとさえ思う。

費用の公的助成(確かあったように思うが…)と合わせて速やかにブロック塀を補強するなり、生け垣に変えるなりすべきだ。

後から後悔しても遅いのだ。

バクチ

久しぶりにバクチをした。200万円強の大ばくちw。

気分が沈んでいたが、高揚するねえ。

セール大好き、見切り品大好き人間だけど、金額が大きくなると、突然、太っ腹になるw。

種を明かせば、何年も売り買い無しに放置していた株を11月に2個売り、小売関連と機械関連の銘柄、各1個、1つは指し値、1つは成り行きで買い注文を入れたというだけなのだが、大きな地震がいつ来てもおかしくないからその前に残りの株を手仕舞ってしまおうと思っていたのに、反対に買ってしまった。

これというのも昨年の少々の株の売却益にかなりの税金を支払ったのが悔しかったからw。

まあ、仕方ない。生来の天邪鬼なのだし。日本が地震で痛手を被っても、株が暴落しても、日本人はなんだかんだあっても真面目人間だからコツコツ頑張るに違いないのだから。ガンバレ日本の若者w。

とはいっても大地震は私が死んだ後にして欲しいけどねえ。

 

孤独

孤独というのは一人だからではない。見知らぬ大勢の人の中にいるときは、それは淋しくはあっても孤独ではない。家族の中で孤立すること、一人であることが一番孤独なのかも知れない。

息子の方の孫の運動会に行ってきた。4年生と2年生だ。下にあと2人。今時珍しい6人家族である。

近くに住む子供のいない末娘夫婦と誘い合って行ってきた。

傍目には大勢で何かと集まり羨ましいだろう。しかし、お嫁さんは大きな重箱をこしらえてきていても決してお昼に誘ってくれたりしない。そういう実家なのかも知れない。まあ、それはそれで良いのだが最初は傷ついた。娘夫婦抜きで一人で行っても、ママ友たちと用意してきたお菓子の交換をしていても、ひとつどう、などという言葉を掛けられたことはない。

私は近くに誰かいるのに自分たちだけでお菓子を配るのは嫌だ。一人で混じる人にも居心地の悪い思いをさせたくないから必ず声を掛ける。息子もそうだったはずなのだが、私にもお菓子を、などとお嫁さんに声を掛けることはしない。ため息をかみつぶす。食べたくなくても声を掛けてくれないことが辛い。慣れていない。現代では慣れなくてはならないことなのだろう。

そして、末娘は子供がいない分、長い付き合いなのに仲が良い。仲が良いのはとても嬉しい。しかし、この子も、結婚して数年してから辛く当たるようになった。いや、本人はそんな気はないのだろうが、常にダンナを気遣っていて、絶えず、私に当たる。気を利かせて、静かに、黙って、余計な動きはしないで…。私が私でいることが気に入らない。それなら誘わなければ良いのに板挟みなんだろうなあ…。

離婚し、幼かった子供3人を育て上げた。みんな感謝してくれている。認めてもくれている。しかし、私が私の意見を言うことを嫌う。多分、フリーランスとして長年働き、みんなが言うことが正しいとは思わない、日本人のお婆ちゃんらしくなく、自分の意見を持ちすぎている私が煙たいし、恐らく、一般的な日本の母親のように、専業主婦として生きてきた控えめな人ではないことが恥ずかしいのだ。

運動会の後、娘夫婦と3人で帰りかけたとき、娘が涼しいところでお弁当を買って食べるからと突然、別行動になった。3人で出かけるときは食事時にはいつも一緒だったが、二人になりたかったのだろう。悪いけど二人で食べたいからと一言あれば、あらそう、と、からかうかも知れないが笑って済むものを切り口上で告げた。

ああ、私は買い物をするからと別方向へ向かった。勿論、一緒に食べると思っていたし、悲しかったがまあ仕方ない。そこへ娘が再びやってきた。ダンナに言われたのだろう、一緒に来るかと聞いてきた。今更行きたいと言えるはずがないじゃないか。来ないでと顔に書いてあるよ、お馬鹿と笑って別れたが、しみじみ孤独だった。

群れる動物の人間が一人で生きていくのは、常に一人でいるしかないことを確認するのは、慣れてはいてもやっぱり辛いものだ。

で、どうするの?

世の中にはエキセントリックな人がいて、とくにネットでは生な自分を出す人たちが多くて、時々びっくりする。

オシャレが好きな、花を愛する、専業主婦の人のブログを時々読んでいるのだが、今朝、激烈な文を書いていてびっくりした。

トランプが米大使館をエルサレムに移したことに激高していてイスラエルを罵っているのだが、もちろん、パレスチナ人の境遇が可哀想では無いと言うことではないが、では現在、イスラエルに住んでいるユダヤ人はどこに行けというのだろう。ホロコーストを経て、諸大国の取り決めで移住してきた人たちはどうすれば良いのだろう。

第二次大戦終結からすでに70年を超え、国として存在しているイスラエルの処遇について、一刀両断に解決できないから今のていたらくになっているのであって、エルサレムへの大使館の移動もどうやらかなり昔から協議され、決められていたようだ。その際生じるデモや暴力沙汰、混乱は織り込んだ上での決断なのだろう。さらに営々と努力して砂漠の地を緑に変えてきたイスラエルの努力をどう考えれば良いのだろう。

イスラエルパレスチナが平和に共存できるようにするには、本当に、どうすれば良いのだろうね。

彼女はご主人がトランプ側についているとして、女はいつも男の奴隷だと怒っているのだが、よく分からない論理だ。恐らく、議論でご主人に負けたからなのだろうが。

日本では一見、男が威張っているように見えるが、実際は女の方が実権を握っているケースが非常に多いと思っている。掌の上で転がされているダンナの稼ぎで、日中、お稽古事や食事を優雅に楽しんでいる主婦たちの多いこと。給与を丸ごと妻に渡す夫の多いこと。奴隷だと騒ぐ彼女だって、十二分に優雅な暮らしなのだが。女が強い日本は平和だ。

バランス

最近はどうもSNSで人の目を気にするからかバランスに欠いた極端な意見が多いようだ。マスコミも個人もだ。

誰かが過激なことを言うと、一斉になびく。なびくだけならともかく、少しでも違う意見、見方があると叩く。

意見を言う側がきちんと様々な要素や背景を考えて言うのならともかく、思いつきばかり、受けることを目的にし、その影響など考えないで騒ぎ立てるから冷静に考えればなんてことないことに時間もエネルギーも、もちろん、諸々の経費や費用も注ぐようになる。

もりかけしかり。セクハラしかり。で、エラソーにそれを問題にしないのは意識が低いなどとレッテルを貼る。レッテルを貼るのが犯罪を犯し選挙に落ちたが比例で助けられた国会議員だったり、後ろめたいところが皆無とは思えない人間だったりするので笑ってしまう。

原罪ということを考える。人は生まれたこと自体、罪を背負うことになる。人間は他の生き物の命を頂かねば生きていけない生き物だ。

何一つ悪いこともせず、後ろめたいこともなく、嘘をついたこともなく、人を傷つけたことのない人など存在しないと思っている。人とは、曾野綾子さんによると少しの善と少しの悪をなす存在だそうだ。

強盗犯でさえ無期ではなくある一定の刑期を務めると釈放される。殺人犯でさえもだ。人間は弱い。誰だって一時の衝動や迷いで人を傷つけてしまうことはある。避けられない偶然もあるだろう。その刑罰と罪はバランスの取れたものであるべきだ。

人一人、それもまだ若く、社会に貢献できるまたしてきた人間を、それも被害者と和解し、刑事罰を受けた訳でもないのに、自殺に追い込みかねないような意見や処遇は実に不遜で自分をふり返ることのない尻馬に乗った恐ろしい所行に思える。

罪を憎んで人を憎まず。古いだろうが、至言だと思う。許し合う社会でなければ生きていくのも息をするのも辛い社会になるのだ。

 

 

親の責任

三人姉妹の長女だ。

当然、父は色々心配したと思う。

今なら、父は問題視され、警察に呼ばれることになっただろうが、小学校のうちからワタシたち3姉妹にワインやビールを飲ませていた。

それも、男に飲まされてつぶされないように訓練すると言うのだから今考えるとスゴイ。で、3人ともかなりの酒豪となった。父はよしよし、男を先に酔いつぶせと言っていたw。

一緒に酒を飲むときは、カクテルなど、飲みかけで席を立つな、部屋に入るななど具体的な指示もあった。

また、20歳くらいまでは厳しい門限があり、部活で8時を過ぎて帰ったら、警察に捜索願が出されていたこともあった。

その後、海外で10年ほど過ごしたが、自己責任という観念が日本の女性に欠けているのに愕然とする。性善説は良いよ、美しいよ、しかし、それがどこにでも、誰にでも通用すると思うのは大きな勘違いだ。

今回のTOKIO山口の問題でも、もう一人女子高校生が現場にいたようだ。本気で嫌がっているのをその友人は見て見ぬふりをしていたのか。友人の危機にしらんふりをするのは友人ではない。

昔、学生時代に、米国人男性の家に数人の友人と行ったことがあった。1人の友人を膝に乗せその男がキスを始めた。彼女は抵抗もしないし、嫌がっているとも見えない。なのに、後になって彼女が嫌だったというので、なぜ抵抗しない、なぜ嫌だと言わないと聞くと、それが挨拶だと言われたからと言った。

実に馬鹿馬鹿しい、嫌なときは抵抗するものだ。皆で彼女に毅然とした態度をとるように告げたのだが、日本人は勇気を何か発揮してはまずいものだと勘違いしているのではないか。ダメなものはダメ、嫌な者は嫌。当然のことなのに、皆と一緒に叩くことはするのに、腰抜けばかりだ。