ロバの耳

余計な一言を気兼ねなく言ってみたい、毒を吐き出すブログ

バランス

最近はどうもSNSで人の目を気にするからかバランスに欠いた極端な意見が多いようだ。マスコミも個人もだ。

誰かが過激なことを言うと、一斉になびく。なびくだけならともかく、少しでも違う意見、見方があると叩く。

意見を言う側がきちんと様々な要素や背景を考えて言うのならともかく、思いつきばかり、受けることを目的にし、その影響など考えないで騒ぎ立てるから冷静に考えればなんてことないことに時間もエネルギーも、もちろん、諸々の経費や費用も注ぐようになる。

もりかけしかり。セクハラしかり。で、エラソーにそれを問題にしないのは意識が低いなどとレッテルを貼る。レッテルを貼るのが犯罪を犯し選挙に落ちたが比例で助けられた国会議員だったり、後ろめたいところが皆無とは思えない人間だったりするので笑ってしまう。

原罪ということを考える。人は生まれたこと自体、罪を背負うことになる。人間は他の生き物の命を頂かねば生きていけない生き物だ。

何一つ悪いこともせず、後ろめたいこともなく、嘘をついたこともなく、人を傷つけたことのない人など存在しないと思っている。人とは、曾野綾子さんによると少しの善と少しの悪をなす存在だそうだ。

強盗犯でさえ無期ではなくある一定の刑期を務めると釈放される。殺人犯でさえもだ。人間は弱い。誰だって一時の衝動や迷いで人を傷つけてしまうことはある。避けられない偶然もあるだろう。その刑罰と罪はバランスの取れたものであるべきだ。

人一人、それもまだ若く、社会に貢献できるまたしてきた人間を、それも被害者と和解し、刑事罰を受けた訳でもないのに、自殺に追い込みかねないような意見や処遇は実に不遜で自分をふり返ることのない尻馬に乗った恐ろしい所行に思える。

罪を憎んで人を憎まず。古いだろうが、至言だと思う。許し合う社会でなければ生きていくのも息をするのも辛い社会になるのだ。